展示物紹介(一部)

「休戦に際する告示」/昭和20年8月10日付け

昭和20年8月10日、安岡先生は使者を立て、日本農士学校に『休戦に際する告示』を伝達した。

この前年8月、小磯内閣の強い招請により大東亜省顧問に就任している。国家機密を知る立場である。
 

伝達の中で先生は、日本がポツダム宣言を受諾すること、この度の敗戦の原因、その後に予想される小人奸人の跋扈・異端邪説の横行・社会の紛乱を指摘し、学生と職員に対して、この未曾有の事態に対する心構えと、その後に為すべき使命について書いている。

『学寮日誌』8月10日の項には、
「8月10日午後1時、突如講堂に集合の令あり、安岡先生の手紙発表さる。…この状堅く緘口令敷かる…」
と記されている。
 

(*8月10日の時点ではまだ国家機密である「日本の敗戦」を伝えたことは、緘口令が敷かれたにせよ、安岡先生がいかに日本農士学校の職員と学生を信頼していたかが窺える。)
 

8月10日に伝達された告示。(クリックで拡大)

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木扇

木扇。安岡先生の自筆で「自反而縮雖千萬人吾往矣」〈自ら反(かえ)りみて縮(なお)くんば千万人といえども吾往かん〉と書かれている。これは「孟子/公孫丑章句上」にある言葉。反対面には「虚空落地 火星乱飛 倒打筋斗 抹過鉄圍」(絶海和尚の遺偈)とある。

戦後間もない昭和22年。日本農士学校の敷地は、ファーザー・フラナガン神父で有名な「少年の街」という、不良少年を教育する施設を作るためにGHQ(連合軍司令部)から接収指令を受けた。

当時GHQの命令は絶対であったが、安岡先生はこれを拒否、マッカーサー元帥宛に接収撤回の直訴文を突きつけた。

この木扇は、先生が精魂込めて直訴文を書いている時に、常に手元に置いていたものである。

その後、接収指令は撤回された。

終戦の証書刪修

■終戦の証書刪修

元号「平成」

■元号「平成」